AI時代に英語を学ぶ意味:3つの理由と、私自身の経験から
英語はAIで十分、勉強しなくていいはホント?
近年、AIの発展により、翻訳ツールやアプリが高度化し、「もう英語を勉強する必要はないのでは?」という声をよく耳にします。私自身、周りにいるZ世代から、英語(便宜上、英語と書いてますが外国語全般に置き換えてOK)勉強必要ですか?(そりゃあ、できるに、話せるに越したことはないのが大前提ではありますが、どこまで時間と労力を注ぎますか。捧げますかという文脈で)とよく聞かれます。しかし、私がこれまでの人生で台湾、中国、アメリカで生活し、外国語を使って世界中飛び回ってビジネスを行ってきた経験から、AI時代においても語学学習の重要性は依然として高いと確信しています。自分なりに頭にあることを言語化してみる。
コミュニケーション潤滑油
AI翻訳は日々進化していますが、人間同士のコミュニケーションにおいて、言葉には感情やニュアンスが込められています。例えば、「你好ニーハオ」と直接相手に向かって話すことで、相手への敬意や親近感を伝えることができます。AIや翻訳アプリよる翻訳では、このような微妙なニュアンスを伝えることは難しく、人間同士の心のつながりを深める上では、やはり生の言葉が持つ力に勝るものはないでしょう。日本人アイドルが海外公演やったときに、片言でもいいから、発音が間違っててもいいから、台湾なら中国語。アメリカなら英語で現地のファンと話したら、きっと喜ばれるということは、簡単に想像がつくはずです。コミュニケーション潤滑油としての英語(外国語)役割は人類が存在し続けて、人と人が、社会がある限り残り続けると、私は考えます。
情報収集能力の向上
現代社会では、情報が溢れています。しかし、日本語で得られる情報は、世界全体のほんの一部に過ぎません。英語、スペイン語、中国語など、多言語で情報収集することで、より幅広い視点から物事を捉え、新たな発見をすることができます。これは、ビジネスにおいてはもちろん、プライベートにおいても大きなメリットとなるでしょう。 AIや誰かが翻訳した日本語の記事に頼るのではなく、自分自身で直接、情報の大本を掴みに行くという意識。ダイレクトに情報につながるという行為・行動が積み重ねが人生を大きく変えるのではないか。ちょっと極論かもしれませんがそんなふうに私は考えてます。ちなみに、私は日本語、英語、中国語、台湾語で情報収集できるのですが、本当に便利です。既にこの世界はインターネットで繋がっていますが、英語(外国語)を学ぶことは、言語という壁をするする潜り抜けより世界がぐっと小さくなるように感じます。
多様な視点からの思考
複数の言語を学ぶことは、単に言葉の習得にとどまりません。それぞれの言語には、独自の文化や価値観が反映されており、それらを学ぶことで、私たちはより多角的な視点から物事を考えることができるようになります。例えば、英語の直截的な表現、日本語の含蓄のある表現、中国語の漢文の歴史を感じる表現など、それぞれの言語の特徴を理解することで、思考の幅が広がり、創造性を刺激されると考えています。私自身の感覚ですと、英語の自分、日本語の自分、中国語の自分はそれぞれ人格が違うように感じていて、面白いです。自分の中に複数人がいる感覚。いまは英語の脳で考えてみよう、いや日本語脳で考えてみよう。このように、考え自分の中で行き来するだけで、新しい価値、新しいアイデアが生まれてくると感じます。英語(外国語)を学ぶということは最高にクリエイティブな行為だというふうに感じます。あ、あと外国語学習はボケ防止にもなるとか…! 笑
人生を切り開くひとつの手段
AIが進化し、翻訳ツールが便利になったとしても、人間が言葉を学ぶことの意義は失われることはありません。この先もずっと。毎年新年の目標で「今年こそは英語を頑張る!」と決意を新たにした、みなさんへ。言語学習に、近道は存在せずコツコツやるしかないですが、豊かで広がるある人生を切り開くために、グローバル世界を生き抜くためにぜひ勉強していきましょう。私もいまだに日々学んで語学力に磨きをかけています。